たった今、『急に具合が悪くなる』を読み終えました。以前、私はアウトプットを行うにはインプットがまず必要であると書きましたが、その意味ではこの記事を書くのに、『急に具合が悪くなる』を読む必要があったのだと思います。
私が、宮野さん・磯野さんのお二人のやり取りを「消費」してこれを書くことが正しいのかどうかという葛藤はありますが、いま書けるものを書いてみたいと思います。ということで、先週より始まったブログ再連載計画の2回目となります。
まず、この度ブログの再連載を始めようと思ったのが何故なのか、自分と共に考えてみました。
理由や因果は様々にあるのですが、1番は自分のアイデンティティを見つめ直すため、そして手放さないためなのではないかという結論に至りました。
以前よりブログを読んで下さっている方は薄々ご存知かと思いますが、私は昨年の3月まで大学院生でした。そして4月からは会社員となり、専門分野とほぼ関係のない仕事をしています。環境の劇的な変化の中で、日々自分のアイデンティティの在処がわからなくなり、遠くなるような感覚があります。他方で、今いる場所はぬるま湯のようであり、ここにいれば(ものを書いたり考えたりしなければ)ずっと安穏と暮らしていけるだろうという感覚もあります。
さて、こう書くと、私が「アイデンティティ」を失ったのは社会人になったから、というストーリーラインが浮かび上がります。私自身、この数ヶ月そのように考えてきました。環境の変化が自分を書き換え、失った状態になったのだろう。そして、内省していないことを批判されない環境が更に拍車をかけているのだろうと。
しかし、実態はそうではないのです。
私はそもそも、大学院に入学し少し経った時点からアイデンティティを見失っていたのだということに、内省する中で気付きました。
まず、自分が大学院に行くことを決めたのは、卒論執筆が楽しかったからでした。
私はB3までもゼミに複数出てみたり、同じ専門分野の人たちと勉強会や読書会をしたりしていて、研究よりの学部生活を送っていました。
しかし、B3の2月頃から取り組み始めた卒論の執筆はそれとは違った楽しさでした。
それまではインプット中心だったのが、アウトプットが中心となり、文献や論文を読む感覚が変わりました。書き、批判され、文献を確認し人に聞いて訂正、そして書き足しの繰り返しの日々は私にとって非常に充実していました。
その中では、むかし読んだ入門書に書いてあったことを実は理解していなかったことが判明して2日かけて読み直したり、夢で知らない先生(非実在)に自分の無理解を詰められたりといったこともありましたが、とにかく全てが楽しかった。そして、どうせ40年働くのだから、あと2年だけこれをやろうと思って修士に上がることにしたわけです。
しかし、修士に上がった途端、その「楽しい」という感覚を純粋に得られなくなっていました。
ここには外的要因が二つと、内的要因が一つあると考えています。
一つ目は就活に中途半端に参入したことです。
卒論を出し終えたB4の終わり頃に、「修士に上がるからにはちゃんとした会社に就職しなければならない」という意識が芽生え、不明確な目的意識のまま就活を始めてしまいました。
結果、賢くコミュニケーション能力もあり、またサークルの仲間と勉強と飲み会ばかりしていた私と違って、「人と何かを成し遂げる経験」をきちんと積んだ歳下の学部生たちの熱にやられ、大学院生活の初めの方で研究に充てるはずだった気力を削がれてしまいました。
二つ目は、人間関係の変化です。
学部の頃に参加していた勉強会などは、修士に上がるにあたっていったん精算してしまいました。
また、友人はみな就職したり自分の専門を究めたりして会う機会が劇的に減り、進学先の大学院は過疎っていたため友人も研究仲間もできませんでした。これにより、就活セミナーなどの「疲れる」人間関係の割合が相対的に多くなり、精神的に疲弊していきました。
そしてここに内的要因が加わります。それは、研究課題のハードルの上昇です。
一言で言えば、研究課題のハードルが上がり、もはや自分の頭で対応できる範囲を超えてしまったのです。その結果、研究に取り組む気力を起こすのが難しくなり、また執筆や文献読みも遅々として進まなくなりました。
これら3つの要因により、私は大学院に入って早々、研究を「楽しい」と思えなくなってしまいました。
ここで、B1から研究にコミットしていた私のアイデンティティはいったん失われていたというわけです。研究は楽しくない、さりとて就活に向かうほど元気でもないという状態に陥った私は、「自分が何をしたいのかわからない」という状態に陥りました。結果、就活からは早々に離脱し、研究も進まない日々を送ることとなりました。
最終的には就活も研究も帳尻を合わせてなんとか乗り切ったのですが、その日々の中でも私はずっと、「私が本当にしたいことは何か?本当に欲しいものは何か?」という問いを抱えていました(というか、今も抱えています)。
さて、ここまで整理してきた内省は、私にとって『急に具合が悪くなる』の読書体験と並行しているものです。
私が『急に具合が悪くなる』から得たものはとても多い(本当に多い)ですが、その中でも特に大きかったのは、「人は、自分を物語やアイデンティティに閉じ込める必要はない、むしろ外へ飛び出していけ!」というものです。これが読者へのメッセージなのかは置いておいて、書簡を順に読んでいくと、これを宮野さんがご自身にずっと言い聞かせているのだろうことが、痛いほどに伝わってきます。(詳細は省きますが、読んだ人にはきっと伝わると思います。)
だから、私も自分の7年に及ぼうとしている「アイデンティティ喪失の物語」に、そしてそのアイデンティティに乗る必要は、実はないのだということに思い至りました。今回はその前段として自分の物語を整理することが目的でありました。そして、それは達成できたのではないかと思います。
また次回!