雨上がりの夜が好き

本の感想多めです

4/1(コーヒーに少し入れる砂糖/大豆田とわ子)

 以前から、片想いが甘酸っぱいというのは嘘だと思っていた。ある程度社会に揉まれたらそんな甘美な片想いは訪れない。ただ、嘘だということがわかるだけで、ではなんなのかということは分からなかった。それが拙い言葉だが、自分の中でピッタリくる表現が見つかった。軽く調べた限りではオリジナルと主張して良さそう。

 

「片想いは、ホットコーヒーに少しだけ入れる砂糖のように、すぐに溶けて香りも味も仄かにしかわからなくなってしまう」

 

 私にとってこの数年にした幾つかの片想いは、ホットコーヒーに少しだけ入れる砂糖であり、それ以外ではない。特に悪いことをしているわけでもないのに感じる仄かな罪悪感、入れたところでほとんど変わらない味と香り、そして飲み終える頃には入れたことすら忘れている。まさしくこれである。

 この歳になると片想いは、最初は甘い気がするが薄味ですぐ忘れるし、忘れたら仄かに甘みがする気がするのだがどんな味かも思い出せない、そしてその後は誰にも悪くないのに罪悪感もあるものだ。洗練されていないし、凡庸なのはわかっている。その上、これが私だけの感覚で、誰にも共有できないかもしれない。それでも、私は嬉しい。これで自分の感覚を他人に伝えることができるかも知れないから。

 

 『大豆田とわ子と三人の元夫』を最後まで観ました。正直、最終話って全然それまでの話に関係ないんだけど、6回目でもマーさんの顔を見ると泣いてしまう。心の穴をどうしたらいいのかはわからないし、自分の望みと、情動と、合理的に目指すべきものの区別だってすぐに見失う。でも確かにそういう意味では、自分の好きな自分でいるというのは大事。私たちには、トイレの中でさえ、1秒たりとも演じていない時はないのだとしても、この人といる時の自分は1人でいる時、つまりトイレの中の自分より好きだなと思える人を、それこそ合理的に選べたら一番いい。現実には情動が邪魔をして難しいけど、そこに近づいていきたい。