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川上未映子『夏物語』

川上未映子『夏物語』ネタバレ注意です

 

 人生で1番読み返した本の1つは川上未映子の『夏物語』だ。少なくとも3回は読んでて、5回読んでるかもしれない。夏物語がどのような話なのか、私なりの解釈を書いてみようと思う。

 夏物語を表すとされるワードは、精子提供や反出生主義などがある。これらは妥当な部分もある。実際に、作品の後半は主人公が精子提供によって子供を産むか否かについて、その制度的な難しさと倫理的な苦悩を辿っていくという話になっている。その過程で善百合子という、反出生主義を説く人物が登場し、主人公に対して子供を産むことが残酷である可能性を説く。

 私が1回目に読んだ際に引っ掛かった、ないし若干の反感を覚えたのは善百合子と主人公の問答と結論の非整合性だった。構造を説明すると、2人の会話をディベートとして読んだ場合、明らかに善百合子の意見の方に正当性があるのだが、ラストシーンで主人公は子供を産むことを選択する展開になる。要するに、作中で正しいとされた倫理的態度に、十分な異論を提出できないままで、それでいて主人公は従わないのである。

 恐らくここに引っ掛かりを覚える読者は私だけではないはずである。だが読み返した今では、これこそが夏物語が小説の形式で書かれている意味なのではないかと考えている。これが例えば対話形式の倫理学の入門書で架空の学生2人が議論しているものなら、あるテーゼに異を唱えたい場合には相手の論理の弱点を突くなどして、そのテーゼを受け入れられない理由を説得的に示さねばならない。だが夏物語は小説であり、それゆえに文脈があるし、全体の中で部分が持つ役割もある。

 ここで注目したいのが前半部分の、『乳と卵』を下敷きに書かれているパートだ。前半部分の主題は大雑把に言えば、女性としての身体を持っていることで受け入れなければならない成長と老いの苦悩であった。ここから推察するに、後半の主題は自分の体の中に子供を産む機能を持つ器官ないし内臓が存在するということとそこから派生する苦悩である。

 主人公は、善百合子に子供を産むことの残酷さやエゴイズムを説かれていながらも、それでも切実に、子供を産んでみたいと思ったのではないだろうか。そして問題は主人公の態度を批判することではなく、これを受けて私がどのように考えるか、なのだ。

 

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