雨上がりの夜が好き

本の感想多めです

横を向いて生きていこう

 前回の更新から半年近く経っています。1/10に書いたのが最後でした。
この5ヶ月間一度もはてなブログを触っていなかったのですが、一つくらい記事を書くかと思って戻ってきました。今日は以前交流のあった方々のブログに星を押して回ったりなどしました。みなさん、お久しぶりです。

 

 5ヶ月間いろいろなことがありました。2月には新しい恋人ができて、3月には英語の試験を受け、4月と5月は論文を書いていました。そして6月には好きなアーティストのコンサートに行きました。2月に付き合った人とは4月に別れたのですが、それすら記憶の彼方で、毎日があっという間に過ぎていった半年です。全て語りたいようでいて一つも語りたくないようでもあるのですが、書いてみようと思います。

 

 最近はずっと論文を書いたり論文を読んだりしています。楽しいからというより、これだけが自分を受け止めてくれるからというのが理由ですね。論文というのは凄くて、基本的にある一定のルールに従い、そして熱意をもって書かれています。逃げないし、裏切らないし、勇気をくれる。素晴らしくありませんか。自分で書いてみるとわかるのですが、短いものであっても論文を書くのは大変で、だからこそ研究者が苦労して書いているのが伝わってくる。

 それに研究はサボるとツケがくるし、努力すればその分世界が広がる。その意味で裏切らないし、正当に自分が評価され批判される。置いて行かれるのは怖いけれど、時間を費やすに値すると感じるし、積み上げて行きたいと思える。こんなに素晴らしい営みなので、苦しくても頑張ることができます。

 

 一方で、他人を信じること、とりわけ恋人やパートナーと称される関係性の他者を信じることは、かつて想定していたよりもずっと難しいし、得られるものも少ないと現在の私は感じています。多くの時間を共有し親密な関係を築こうとすれば、通常の社会生活では見えない部分が見えてきて、傷つけられたり相手を傷つけてしまったりする。これを考慮すると、「恋愛」は文化的媒体などで表象されているものより素敵ではないし、(しばしば人生において最も重要であるとさえ言われる)恋人は結局のところ他人である、と言わざるを得ないのではないかと考えています。私は自分の性的指向はシスジェンダーヘテロセクシュアルであり、アロマンティックやアセクシュアルではないと自認しているのですが、今後の人生で再び恋愛に熱中することは難しいのではないのかなと感じています。

 最近はこういうことをぐるぐる考えてしまって恋愛に消極的なのですが、それを悲しいことだと思っていません。「自分の生きていく理由は自分自身の内側で見つけるしかない」というメッセージもまた、沢山の文化的媒体で言われていることですが、これってそういう意味だったんだな〜と思いながら生きています。寂しい時はよつばと!を読みます。よつばと!は何回読んでも素晴らしい漫画。道とか公園とか家とかの、視界の横にあるものって楽しいものなんです。横を向いて生きていこう。