雨上がりの夜が好き

本の感想多めです

自分の不器用さと付き合う

文体の話

 昨日久しぶりにブログを書いたのですが、自分の文体が少し変わっていることに気づきました。なんというか、以前の記事よりも「読み易いが感情がこもっていない」感じがしませんか?恐らく言葉の選び方が変わっていて、以前は感情を伝えることにもう少し重きを置いていたのですが、正確な伝達を重視するようになったようです。

横を向いて生きていこう - rainight22432のブログ

 

 原因は考えるまでもなく明らかで、論文を書いているためだと思います。自分史上最高速度でテクストのインプットとアウトプットをし続けていたので、どうやら私の書き言葉は何かが変質してしまったようです。いい所と悪い所の両方があると思いますが、今後ともよろしくお願いいたします。

 

読んだものについて

 最近、自分の今の方向性に対して疑問を持っています。今の私は、言わばずっと自分のことばかり考えているような状況です。そのため新しく人と知り合う機会もなく、友人はいつの間にか減っていて、視野が狭まっている。これを最も感じるのは辛いときで、いきなり電話をかけられる相手が誰もいない。また、ちょっとした話を聞いてもらおうとしても、これもやっぱり誰もいない。長い付き合いの友達は何人かいて、でも長い付き合いの友達にはそういうとき頼れないし、あと彼らは皆それぞれに、私と同様に忙しかったりする。そうなると私は自分の内側のものを自分で抱え、どうにかしなければならない。そうすると小さいことが乗り越えられなかったりするし、外へ働きかけるハードルがどんどん上がっていく。そしてなにもできない時間がやってきて、自分を責め始めると本当に辛くなってきて、どうしようもなくなってしまう。
 自業自得とも違うのだけど、自分の取った選択に結果的に首を絞められている。ただ、だからと言って一度抱いた信念が改訂されるわけではない。つまり、恋人を作る勇気は結局のところ湧かない。けっこうどうしようもなくなっている。

 それで最近は、大江健三郎を捲っています。『万延元年のフットボール』。主人公が器の小さい、どうしようもない人で、その周りの人間たちもそれぞれどうしようもない所を持って、その人たちが楽しいのか楽しくないのかよくわからない旅と生活をしている。それを読んでいると心が安らいでいく。受験期に夏目漱石の後期三部作にいやに傾倒していたのに近いものを感じますが、これはこれで精神の保ち方として悪くないとは思っています。ただ、自分の変わらなさを突きつけられるようで少し嫌ではある。いつかなんとかなることを願って、今日も文字をせっせと読み書きします。永遠に満足できる時は来ないでしょうが、それでも書き続けなければならぬ。

 

結束バンド

 結束バンド、凄いですよね。数日元気がなくなって演習の準備と演習以外勉強ができなくなっていたのですが、結束バンドの音楽を聴いていたら、なんでもできる気がしてきました。ぼっち・ざ・ろっく!は「ぼっち」というズラし要素はありつつも正統派な青春ロックだし、結束バンドの曲もすごく、すごく青春。いま、先日解禁された「光の中へ」をずっとリピートしているのだけどもう手放せなくなってしまった。

 自分の音は自分で救わなきゃいけない、自分の思いは自分で口に出さなければならないし、自分で頑張らないといけない。戦うべきものは色々あって、その中で負けても戦わないといけない。それは己に戦う理由があり、何よりもこれが楽しいからである。だから不器用でも、胸を張って生きていこう。

 

 

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